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熊本地方裁判所 昭和50年(わ)469号 判決 1980年3月18日

主文

被告人らをそれぞれ懲役四月に処する。

被告人らに対し、この裁判確定の日から二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人らに対し、別紙記載のとおり訴訟費用を負担させる。

理由

(事実)

1  被告人緒方正人は、昭和四九年八月に水俣病認定申請患者らによつて結成された水俣病認定申請患者協議会(本件昭和五〇年九月当時、会長田上始((以下、田上という。))。以下、申請協という。)の本件当時の副会長、被告人坂本登は、申請協構成員(後に昭和五一年六月三〇日水俣病認定患者となる。)であり、被告人中村雄幸及び同森山博は、いずれも申請協の活動を支援している者である。

2  ところで、熊本県議会(以下、県議会という。)には、昭和四六年三月から公害対策特別委員会が設置されており、昭和五〇年九月二五日午前一〇時より、熊本市水前寺六丁目一八番一号熊本県議会議事堂三階総務常任委員会室(以下、本件委員会室という。)において、第六回公害対策特別委員会(当時の委員長杉村國夫県議会議員((当時四八年。以下、杉村という。))。以下、本件委員会ともいう。)が開催される予定であつた。

3  公害対策特別委員会は、これより先の昭和五〇年八月七日、環境庁へ赴き、水俣病認定業務の促進のための認定制度の抜本的改正を早急に実現されたいこと、行政不服審査請求事案については環境庁の責任において認否の最終決定を行われるよう努力されたいことなどにつき陳情を行つたが、この陳情の情況について、同月八日付熊本日日新聞(熊本県内の有力総合新聞)に、「申請者にニセ患者が多い」「補償金が目当て」等の大見出しで、「公害対策特別委員会の委員の一部が、陳情の席上、『認定申請者のなかには補償金目当てのニセ患者がたくさんいる。』『だいたい、認定即補償という仕組みがいけない。ニセ患者が補償金目当てに次々に申請している。もはや金の亡者だ。これじやたまらん。』『運転免許のさいは視野狭さくじやないのに、検診の時は視野狭さくで見えないと答える。』『このため県認定審査会はどの申請者がシロかクロかの区別に苦労している。』『患者に認定されれば、千六百万円もらえるので、水俣市ではニセ患者が相次いで申請を出している。』『だいたい申請者は金ばかりに目を向けて、オレもオレも水俣病だと言つて何回も申請を出している。』などと水俣病患者を批判する発言をした。」旨の記事が掲載された。

4  右新聞記事を読んだ被告人緒方ら申請協構成員らは、憤慨し、申請協の世話人会を開くなどして協議した結果、前記第六回公害対策特別委員会へ陳情し、その機会に右発言に対して抗議、糾弾すること、熊本県警察本部に杉村らがその発言者であるとして同人らを名誉毀損で告訴することなどを決定し、昭和五〇年九月二五日には右抗議及び告訴のため、熊本県水俣市から、申請協構成員、その支援者(以下、申請協構成員及びその支援者を合わせて申請協参加者という。)ら約一五〇名がバス三台に分乗して県議会へ赴くこととなつた。

5  一方、県議会側においても、同年九月二三日ころ、申請協が大勢で本件委員会に陳情に来るとの情報をつかみ、前記新聞記事にからんで、本件委員会が申請協の抗議により紛糾することを予想するとともに、当日は水俣市民連絡協議会(以下、連絡協という。)からも約八〇名による陳情の申し込みがあり、申請協と連絡協とは思想傾向が異ることから両者間の軋轢も予想されたため、杉村は、本件委員会委員の一部、県議会事務局職員らと協議して、県議会の職員のほか県執行部の職員の応援も求めて本件委員会室内外の整理等に当らせること、右二団体の接触を避けるため、先に到着した団体を議事堂一階の議員サロンに、他方を一階ロビーへと分けて待機場所を設けること、本件委員会室に入室しての陳情は、代表五名に制限することなどを打ち合わせた。

6  このようにして迎えた昭和五〇年九月二五日午前九時すぎころ、まず連絡協約八〇名が県議会に到着し、県議会事務局職員の指示に従つて議事堂一階の議員サロンで待機した。

次いで、同日午前九時二五分ころ、被告人緒方、同坂本、同中村ら申請協参加者約一五〇名も県議会に到着し、その代表者が二手に別れ、前記田上らが熊本県警察本部に前記名誉毀損の告訴状提出の手続をとり、被告人緒方らが県議会事務局に陳情の申し込みを行つた。右陳情申し込みの応対に出た県議会事務局議事課長植田繁(当時五三年。以下、植田という。)は、申請協の待機場所が議事堂一階ロビーとなつていること、陳情に当つては本件委員会室への入室者が代表五名に制限されることになつている旨伝えた。ところが、被告人緒方らは右の入室者の制限には応じられないとの態度をとり、植田が杉村と相談するためその場を離れた間に、被告人緒方ら申請協参加者は、県議会事務局総務課所属守衛長藤本政則(当時五三年。以下、藤本という。)らの制止に従わず、三階へ上り、本件委員会室前廊下及び同所階段付近に坐り込むなどして待機した(なお、本件当時熊本市内に居住した被告人森山は、申請協の右抗議行動に参加するため、一人で県議会へ赴き、同日午前九時三〇分ころ、議事堂内で申請協に合流した。)。

7  杉村ら本件委員会委員らは、定刻(午前一〇時)より遅れて本件委員会室へ入室し、同日午前一〇時四〇分ころから、杉村の開会宣言によつて本件委員会が開会され、冒頭に陳情を受けることとし、まず連絡協代表者五名が入室して陳情を行い、これらが陳情を終えて退室した後、杉村は、念のため、申請協の入室者の人数について委員らに諮つたうえ五名とすることに決定し、同人の命により植田が、本件委員会室東側の扉を開けて、廊下に待機していた被告人緒方ら申請協参加者に代表者五名に限つて入室するよう申し入れたところ、被告人緒方ら申請協参加者は全員の入室を要求し、「全部入れろ。」などと怒号して同扉から押し入ろうとしたため、これを制止するため植田ら県議会職員らが扉を支えて押し戻そうとし、双方で扉を押し合う形となつたが、申請協側の力が強く、次第に扉は押し開けられ、その間に、同扉を支えている蝶番付近が壊れるなどして、申請協参加者ら約二〇名が本件委員会室内になだれ込んだ。

(被告人坂本の植田に対する公務執行妨害の事実)(以下、これをア事実という。)

被告人坂本は、同日午前一〇時五〇分ころ、本件委員会室内東側出入口付近において、本件委員会に関する陳情の受付、その議場の整理等の任務に従事中の植田から代表者五名に限つて入室陳情するよう求められたことを不服として、前記のごとく申請協参加者約二〇名とともに右出入口から室内になだれ込もうとするや、これを阻止するため、同入口扉の取つ手を握つて同扉を室内から支えていた植田に対し、手拳でその顔面を一回殴打して暴行を加え、もつて同人の右職務の執行を妨害した。

(被告人森山の藤本に対する公務執行妨害の事実)(以下、これをイ事実という。)

被告人森山は、同日午前一〇時五〇分ころ、本件委員会室東側出入口において、議事堂の整理、警備等の任務に従事中の藤本が同所に立ち塞つて申請協参加者らの本件委員会室へのなだれ込みを阻止するや、これを不服として、同人に対し、その背後から両腕でその身体を強く抱き締めながら、同所から同入口前廊下まで押し出して暴行を加え、もつて同人の右職務の執行を妨害した。

8  前記のように、申請協参加者らが本件委員会室になだれ込んだうえ、田上、被告人緒方、同坂本らが「入れられるだけ入れろ。水俣からせつかく来たじやないか。」などと言いながら杉村に詰め寄るなどして室内は混乱し、騒然となつたため、杉村は、このままでは審議ができないとして、一旦申請協参加者らを全員退出させたうえ、改めて入室陳情者の人数について委員らと相談して、部落代表五名を加えて一〇名とすることを決定し、植田がその旨廊下にいる申請協側に伝えた。申請協側は、これを了承し、田上、被告人緒方ら一〇名が入室し、まず田上が、前記環境庁における発言につき速やかに責任を明らかにするとともに全水俣病被害者に対して謝罪すべきこと、公害対策特別委員会を被害者救済の原点に引き戻すとともに未認定水俣病患者の救済を促進すべきことなどの趣旨の陳情書を朗読した。

(被告人坂本の藤本に対する公務執行妨害の事実)(以下、これをウ事実という。)

そのころ(同日午前一一時すぎころ)、被告人坂本は、本件委員会室前廊下において、前記イ事実記載の任務に従事中の守衛長藤本が同所に滞留している申請協参加者らに通路をあけるよう指示するや、これを不服として、同人に対し、膝でその左大腿部を一回蹴り付けて暴行を加え、もつて同人の右職務の執行を妨害した。

9  他方、本件委員会室内では、前記田上の陳情書朗読に続いて、被告人緒方が、「これからが抗議陳情だ。」と前置きして、「県議会、行政当局らによる従来からの水俣病患者の放置ないし弾圧、今次の環境庁における公害対策特別委員会委員による患者を中傷する発言等に断固抗議する。」旨の抗議文を読み上げるとともに、「こぎやん言うたつは誰か。」などと怒号しながら、そのころ交替して入室した被告人坂本とともに、委員長席を始め各委員の机を叩いて回るなど執拗に抗議を行い、室内は再び騒然となつた。

10  そこで、同日午後零時三〇分ころ、杉村は、事態収拾のため、別室で委員らと協議し、右抗議に対する委員会の見解を回答文(内容後記)として取り纒めた。その間に、本件委員会副委員長北口博の指示により公害関係以外の県執行部職員が退場し、そのあとへ申請協参加者五、六〇名が無断で本件委員会室に入室して、空席あるいは床上に坐り込んだ。

11  同日午後一時ころ、本件委員会が再開され、杉村は、入室している申請協参加者らに対し、代表者一〇名以外の者の退場を要求し、傍聴であるならば所定の手続をとるように求めたが、申請協参加者らがこれに応じないので、事態をこれ以上紛糾させないため、やむなくそのままの状況下で審議を進行することとし、委員らで協議作成した前記回答文を朗読したが、その内容は、「水俣病について本特別委員会は、患者、被害県民の立場に立つて、常にその解決のため努力してきたところであるが、八月七日環境庁における陳情の際の発言の内容が真意とことなり伝えられ、県民並びに患者各位に誤解を招いたことは誠に遺憾であります。今後、当委員会は、水俣病をはじめ公害被害者、県民の立場に立ち、委員会本来の目的達成にさらに努力するものであります。」というものであつた。

12  これに対し、申請協参加者らは、右回答文朗読が始まるや、「口頭で読み上げるつて失礼な、印刷せい。」などと騒ぎ出し、さらに、「うそを言うな。」「はつきりしろ。」などと怒号して、杉村に激しくかつ執拗に抗議をしたため、室内はまたもや混乱し騒然となつた。

(被告人ら四名ほか多数による杉村に対する公務執行妨害、傷害の事実)(以下、これをエ事実という。)

同日午後一時一〇分ころ、前記のように、杉村が朗読した回答文の内容に納得しない申請協参加者らの執拗な抗議によつて本件委員会室内が混乱し騒然となつたため、委員会の委員長として委員会の議事を整理し、秩序を保持する職責を有し、その職務に従事中の杉村が、このままでは審議を継続できないと判断して、休憩を宣言して退席しようとするや、これを不服として、被告人ら四名は、申請協参加者多数と共謀のうえ、「逃げるのか。」「逃がすな。」と叫びながら委員長席に駆け寄つて同人を取り囲み、その右腕を掴んで引つ張り、引き戻そうとし、右後脇腹を強く掴んで引つ張り、引き続いて、本件委員会室西口扉から廊下に出た同人に対し、同扉付近から同室前廊下を経て、経済常任委員会室前廊下曲り角付近に至るまでの間(この間約三〇メートル)、体当りし、手拳で殴打し、足蹴りにし、頭髪を引つ張り、あるいは股間を膝蹴りにするなどの暴行(なお、各被告人が杉村に対し直接為した行為の態様は、後記(1)ないし(4)のとおりである。)を加えて、同人の前記職務の執行を妨害するとともに、右暴行により、同人に対し、加療約一二日間(全治に至るまで約一か月)を要する睾丸打撲、右下腿部打撲及び擦過傷、左側下腿打撲、上腹部及び右下腹部打撲、両足背部打撲、陰嚢打撲、外傷性尿道出血の傷害を負わせたものである。

(1)  被告人緒方は、本件委員会室内西口扉付近において、杉村に対し、「逃げるのか。」「逃がすな。」と叫びながら、同人の右腕を掴んで引つ張り、引き戻そうとし、右後脇腹を強く掴んで引つ張り、同委員会室前廊下と同所ロビーとの境付近において、同人の背後から右背中付近に体当たりし、さらに経済常任委員会室前廊下曲り角付近において、同人の腹部付近を両手拳で数回殴打するなどの暴行を加えた。

(2)  被告人坂本は、同所ロビーの本会議場壁付近において、同人に対し、手拳で殴打する暴行を加えた。

(3)  被告人中村は、同所ロビーの本会議場壁付近において、同人の背後からその背中に飛びかかつたうえ、同人の身体を殴打し、あるいは足蹴りにし、さらにその頭髪を掴んで引つ張るなどの暴行を加えた。

(4)  被告人森山は、本件委員会室前廊下湯沸室付近において、同人に対し、その胸倉を掴んで壁に押し付け、足蹴りにし、同所ロビー中央付近において、床に手をついて倒れかかつた同人に対し、その左脇から左腕を掴んで捕え、氏名不詳者がその右腕を掴んで捕えるのとともに同人を抱えて同所本会議場壁付近まで連行して同壁に投げ付け、さらに同所で同人を足蹴りにするなどの暴行を加えた。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人坂本登の判示ア事実及び判示ウ事実、被告人森山博の判示イ事実は、いずれも刑法九五条一項に該当するので、所定刑中、いずれも懲役刑を選択する。

被告人ら四名の判示エ事実のうち、公務執行妨害の点はいずれも同法六〇条、九五条一項に、傷害の点はいずれも同法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条によりいずれも一罪として重い傷害罪につき定めた懲役刑で処断する。

被告人坂本登、同森山博の以上の罪は、いずれも同法四五条前段の併合罪であるから、各同法四七条本文、一〇条によりいずれも重い判示エ事実の罪の刑(傷害罪の刑)に法定の加重をした刑期の範囲内で処断する。

右の各刑期の範囲内で、被告人らをそれぞれ懲役四月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、被告人らに対し、この裁判確定の日から二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、別紙記載のとおり被告人らに負担させる。

(主な争点に対する判断)

本件の争点は多岐にわたるが、その主な点についての当裁判所の判断は、次のとおりである(なお、以下における説示において証拠を挙示するに当つては、それが当公判廷における供述、公判調書中の供述部分、当裁判所の尋問調書、捜査官に対する供述調書のいずれとして証拠となるかを問わず、単に供述として摘記することとする。)。

一  事実認定について

1  ア事実について

被告人坂本の植田に対する暴行につき、弁護人らは、同被告人は植田と本件委員会室内で一回顔を会わせたことかあり、その際、同人らの患者らの求めに対する対処の遅かつたことにつき抗議はしたが、同人を殴打したことはない旨主張し、同被告人も同旨の弁解をしている。

しかしながら、証人植田が被害状況につき、証人松田道夫(以下、松田という。)がその目撃状況につき、証人田山洋二郎(以下、田山という。)が至近距離から目撃した犯行の直前及び直後の状況につき、それぞれ供述しているところ、右三名の供述は、いずれも詳細かつ明確であるし、それらが本件当時県議会の職員として互いに協力し合いながら議場の整理等の職務に従事していた者の供述であること、その目撃位置等に徴して、それ自体信用性が高いばかりでなく、大要において互いに齟齬なく一致しているし、原田邦博作成の上申書添付の写真(以下、原田写真という。)No.4ないしNo.7に撮影されている犯行の直前ないし直後の状況とも矛盾せず合理的であるうえ、右三名において、ことさらためにする供述をするなどの事情がないこと等に徴して十分に信用することができ、右三名の供述及び右原田写真No.4ないしNo.7を総合すれば、判示ア事実記載の被告人坂本の植田に対する暴行の事実を優に認定することができる。被告人坂本の前記弁解は、右三名の供述に照らして措信できない。

弁護人らは、右植田、松田、田山の三名の供述の信用性を争い、植田は、被告人坂本は「お前が一番悪か。」と言つたのち、一旦植田のところを離れて委員長席の方へ行き、しばらくして植田のところへ戻つて来た時に殴打した旨供述するのに対し、松田と田山は、被告人坂本が植田に文句を言つてから殴打するまで同人のところを離れたことはない旨供述していること、そのほか、被告人坂本は、入口から入つて来てまず植田に文句を言つたのか、それとも田山に文句を言つた後植田に文句を言つたのか、また、同被告人は無言で植田を殴打したのか、それとも同人に何か言いながら殴打したのか、さらには、殴打されたことにより植田の眼鏡が上にずり上つたのか、それとも下にずり落ちそうになつたのかなどの点につき喰い違いがあることを指摘して、右三名の供述は、いずれも信用できない旨主張する。

なるほど、右三名の供述の間に、弁護人らの指摘する喰い違いがあることは所論のとおりであるが、右ア事実の当時、本件委員会室内、なかんずく同室東側出入口付近は、申請協参加者らの乱入によつて相当に混乱し、人物が流動し、かつ喧噪な状態にあつた(前掲原田写真No.4ないしNo.7、司法巡査谷本憲夫作成の写真撮影報告書添付写真((以下、谷本写真という。))No.5ないしNo.10、司法警察員吉村一信作成の写真撮影報告書添付写真((以下、吉村写真という。))No.3等参照。)ことにかんがみれば、所論指摘の点について右三名の供述の間に喰い違いがあるとしても、かかる紛糾した状況下における観察としてはやむをえない面があり、大要において一致していること前述のとおりであるから、その信用性を否定すべき理由はない。

2  イ事実について

被告人森山の藤本に対する暴行につき、弁護人らは、同被告人は、患者達が室内に入るのに藤本が少し邪魔であつたので、ちよつとどいてもらおうと思い、扉付近にいた同人を背後から抱きかかえて左側に体をひねり、同人を左斜め後方に一メートル足らず移動させただけであり、同人を室内から廊下まで抱きかかえて押し出すなどしたことはない旨主張し、被告人森山も当公判廷において同旨の弁解をしている。

しかしながら、証人藤本は、被害の状況につき、「私は、申請協参加者らのなだれ込みを阻止するため、本件委員会室東側扉付近で廊下の方を向いて立ち塞つていたが、申請協参加者らに室内に押し込まれ、辛くも同扉から一・五メートル位の地点で踏みとどまつて、さらになだれ込もうとする申請協参加者らに対し、入つてはいけない旨言うなどして制止していたところ、背後から何者かによつて両手の上から体ごと抱き締められて、持ち上げられるような状態で同所から同扉前の廊下中央付近まで押し出された。私は、『放せ。放せ。』と言いながら、両肩を揺するなどして何回も振りほどこうとしたが、相手の力が強く、ほどくことはできなかつた。抱きかかえられながら後を振り向くと、私を抱きかかえているのは被告人森山であつた。」旨、供述しているところ、右供述は、その内容自体極めて詳細かつ具体的であるし、それが県議会の守衛長として、周囲に気を配りつつ、その場の警備及び整理に当つていた者の供述であること等に徴して十分に信用することができ、右供述及び同所で被告人森山が室内に背を向けている藤本の背後から肩越しに手を回している状況を撮影した谷本写真No.13(現場写真)によれば、判示イ事実記載の被告人森山の藤本に対する暴行の事実を優に認定することができる。

被告人森山の弁解は、同被告人が、当初、司法警察員に対する供述調書(昭和五〇年一〇月七日付、同月八日付((二丁のもの))、同月一二日付)においては、前記公判廷における供述と同旨の供述をしていたところ、検察官に対する供述調書(昭和五〇年一〇月一四日付)においては、「眼鏡を掛けた守衛さんが、僕に背中を向けて押して来ました。それで僕はよける感じで左へ体をひねりましたが、そのときに相手の体が左の方へ五〇センチメートル位移動しました。僕としてはよけたつもりですが、手が相手の体に触れたので結果的には抱くような格好になつて僕が守衛さんを移動させたように見られたかも知れません。」と供述を変え、さらに再び当公判廷においては、前記のごとく弁解するなど、徒らに供述を変遷させていることに徴して軽々に措信できない。

3  ウ事実について

被告人坂本の藤本に対する暴行につき、弁護人らは、同被告人の足が藤本の身体に触れたことは認めるものの、それは故意に蹴つたのではなく、水俣病により左足が不自由になつていたため誤つて藤本の身体に触れたにすぎず、暴行を加えていない旨主張し、被告人坂本も同旨の弁解をしている。

しかしながら、証人藤本は、被害の状況につき、「私は、申請協参加者らが、本件委員会室前廊下に滞留し、通路にしやがみ込み、あるいは足を投げ出すなどしているので、通路を確保するため、その整理をしていたところ、被告人坂本が私の目の前一〇ないし一五センチメートルのところまで、近付いて来て、『おれの前をうろうろするな。』と怒鳴つたので、私が『おれがうろうろするのは職務だ。』と答えると、いきなり同被告人が、私の左大腿部のやや内側の膝より一〇センチメートル程上のあたりを一回膝蹴りした。そのとき、蹴られた箇所がずきんと痛んだ。そこで、私が『あいた。お前は蹴つたね。』と言うと、同被告人は『足のはつてたつた。』と言つて、足がひとりでに動いていつて当つただけだというような意味の弁解をするので、私は、同被告人が故意に蹴つたことを認めたものと思い『よし、認めたね。』と言うと、同被告人は、『おれは蹴らんだつた。』と言い張り、そのころ近付いて来た被告人森山とともに、私に詰め寄つたうえ、被告人坂本は、『お前はやかましゆうばかり言う。犬がおろうが、犬を出せ。』などと言い、遂には、『おれは蹴らんだつた。お前が蹴つたろうが。』などと、逆に私に因縁をつけて来たが、そのころ、近くにいた者が止めに入つて、同被告人を湯沸室の方へ連れて行つたため、ようやくその場はおさまつた。蹴られた箇所は、このあと二、三日は押えれば痛い、歩けばこわばつた状態が続いた。」旨、供述しているところ、右供述もまた詳細、明確かつ具体的であり、検察官の主尋問、弁護人らの反対尋問を通じて一貫して維持されていること、藤本において、ためにする供述をするような事情が存しないこと等に徴して十分に信用することができる。

一般に、誤つて人に足が触れたというような場合、相手から指摘されるまでもなく、「失礼。」あるいは「ごめんなさい。」などの謝る言葉が直ちに口をついて出るのが我々の経験するところである。ところが、右藤本の供述によれば、被告人坂本は、直ちに謝るどころか、藤本から「あいた。お前は蹴つたね。」と指摘されてもなお、「足のはつてたつた。」などと弁解をしている。このような被告人坂本の態度は、誤つて人と接触した者のとる態度とは到底思われない。また、藤本は、蹴られた瞬間、蹴られた部分にずきんとする痛みを感じ、その痛みが二、三日続いたという。これは同人の感覚にもよることであろうが、誤つて触れたという程度の接触では考えられないことであろう。しかも、本件のような直接対面している者の間での身体接触の場合、接触を受けた者においても、相手の挙動その他から、それが故意によるものか否かがわかるのが通常であろうと思われ、藤本は、被告人坂本の挙動、前後の状況等から、同被告人が故意に蹴つたものと感じて直ちに「あいた。お前は蹴つたね。」と言つているのである。このような事情のほか、被告人坂本が、本件の直前、藤本に対し、一〇ないし一五センチメートルという異常な近距離にまで接近して「おれの前をうろうろするな。」と怒鳴りつけ、暴行の直後には「犬がおろうが、犬を出せ。」などと言いながら藤本に詰め寄るなど、攻撃的態度をとつていること等を総合すれば、被告人坂本が藤本に対し、故意に暴行を加えた事実を優に認定することができる。

なお、弁護人らの援用する証人高倉史郎、被告人中村の各供述については、同人らはいずれも暴行の存否自体については全く目撃をしておらず、その後の状況を目撃したにすぎない者であるが、その供述するところは、いずれも、要するに、当時被告人坂本は足が不自由であるために誤つて当つた旨弁解していたこと、藤本は最後には「わかつた。わかつた。」と言つていたということに尽きるのであつて、その供述内容自体直ちに、被告人坂本の藤本に対する暴行の事実の認定を妨げるに足るものではない。

4  エ事実について

(一) 弁護人らは、被告人らは、いずれも杉村に対し一切暴行を加えていないし、他の申請協参加者らと共謀した事実もない旨主張し、被告人らもその旨弁解しているところ、当裁判所は、前掲挙示の証拠によつて判示エ事実を認定することができると考える。

(二) ところで、当裁判所がその罪証として採つた証拠の中には、証人浦田勝の供述、井手正剛の検察官に対する供述調書(二通)が存在するところ、弁護人らは、これらにつき、大要、次のように主張して、極力その信用性を争う。すなわち、

(1) 浦田、井手の両名とも杉村と同様自由民主党所属の熊本県議会議員であり、さらに浦田は同じ本件委員会委員であるし、井手は所属派閥も同じである。そのうえ、本件当日の浦田、井手両名の行動に徴すると、右両名は、本件に関し杉村と特別の共同関係にあるとともに、被告人ら申請協参加者らとは敵対する関係にあつたこと明らかであつて、このことが、意識的、無意識的に捜査当局に迎合した虚偽の供述の原因となつている。

(2) 浦田の供述は、その供述態度、供述内容からみて、同人が被暗示性が強く、被告人らに対する処罰要求を持つており、証言に全く厳密さを欠き、いいかげんであつたということのほか、その内容にも矛盾、変遷が甚だしい。

(3) 井手の調書は、同人が死亡したため刑事訴訟法三二一条一項二号によつて証拠能力こそ付与されたが、その信用性は反対尋問を経ていないため何ら担保されていない。

(4) 証人原田邦博が、本件の目撃状況につき、杉村らの集団を「黒いかたまり」としてしか認識せず、その中でわずかに杉村の頭だけが見え隠れする状況であつた旨供述していることに照らすと、浦田及び井手が、暴行の仔細、なかんずく「蹴る」という足の動作まで認識しえたはずがない。

(5) 浦田は、本件委員会室前廊下湯沸室付近で、被告人森山が杉村の胸倉を掴んで壁に押し付け足蹴りした旨述べ、谷本写真No.22がその時の写真である旨供述するが、証人藤本は、同所で杉村は前方に中かがみの状態で倒れかかり、壁際で床に膝をついた旨、明らかに右浦田が供述する暴行態様と相容れない杉村の状態を供述しているし、右写真は、撮影者谷本の供述によると、全く別の場所であるロビー入口付近での写真であること明らかであるし、その撮影されている状況も浦田の供述と異る。

(6) 井手は、本件委員会室前廊下方向からのロビーヘの入口付近で、被告人緒方が杉村の背中に体当りした旨供述するが、杉村は右のような被害事実につき何ら供述していないし、古家泰博作成の実況見分調書においては、同所で杉村の右後ろ付近にいたのは黄シヤツの男と想定されており、井手が右実況見分時に前記のような説明を行つた形跡もない。

(7) ロビー中央付近から本会議場壁付近にかけての被告人森山の杉村に対する暴行につき、浦田が供述する同被告人が杉村の左腕をとつた場所(第一九回公判調書添付図面No.3)と井手のそれ(昭和五〇年一〇月一四日付井手調書添付図面No.5)とが異るうえ、浦田と井手は、被告人森山が杉村の手をとつて引つ張つた旨供述するのに対し、、杉村は、後ろから抱えられて放り投げられたもので、前からの力はない旨述べるとともに、そのとき右脇か左脇の方に被告人森山を見かけたことはない旨述べて、浦田、井手と矛盾する供述をしている。

(8) 被告人中村が本会議場壁付近で杉村の頭髪を引つ張つた暴行態様につき、井手と浦田は、同被告人が杉村の頭髪を前から引つ張つたとするのに対し、杉村は、自分の左側頭部の髪を自分の左後方にいる者から引つ張られたと供述しており、犯人の位置及び引つ張つた方向につき供述に喰い違いがある。

(9) 浦田は、本会議場壁付近で、足の不自由な被告人坂本が「飛び上つて杉村に打ちかかつていた」旨の信じ難い供述をした後、実ははつきりした記憶はない旨述べるなど、その供述は曖昧である。

(10) 浦田は、経済常任委員会室前廊下曲り角付近で被告人緒方が杉村を殴打した旨供述するものの、その殴打した部位につき、「下半身」から「どこを殴つていたのか知らない」と変わり、最後には「上半身」と答えるなど変遷が著しい。

また、杉村が、自分は同所で前方から何者かに腹部を殴打されたが、殴打されているとき左前方一メートルないし一・

五メートルのところに被告人緒方を見た旨供述して、殴打した者が同被告人でないことを認めていることと矛盾する。

加えて、谷本写真No.23は、杉村らの集団が同所付近にいるころに、ロビー中央本会議場壁付近にいる者達を写したものと考えられるところ、同写真には被告人森山とともに被告人緒方も写つており、右浦田の供述と矛盾する。しかも、右写真に写つているところでは、被告人緒方らは簡単には杉村らの方へ進めない状況にあつた。

そこで、浦田、井手の供述の信用性について、弁護人らの指摘するところに即して説示するに、

(1)について。なるほど浦田、井手両名の身分、所属及び右両名が杉村と親しい間柄であつたことは所論のとおりであるが、このことから直ちに右両名の供述を信用できないとするのは早計であること勿論であるし、かえつて右両名が杉村とそれほど親しいがゆえに、それだけ同人の身を案じて、杉村に対する申請協参加者らの暴行を含め同人をめぐる事態の推移について他の者に比してはるかに強い関心と注意をもつて観察したと推認することが自然であり、従つてまたそれだけ強く記憶されたと考えられる。

(2)について。浦田が被暗示性が強く、被告人らに対する処罰欲求を有しているとの点は、これを直ちに首肯することはできないし、また、その供述を部分的、形式的にみるとき、いくつかの点で矛盾、変遷があることは認められるが、これを全体的、実質的にみるとき、全体として大筋において一貫しているものと考えられるのであつて、浦田の供述を単に矛盾、変遷の多いいいかげんなものとみるのは妥当でない。

(3)について。確かに所論のとおり井手の調書は反対尋問を経ていないが、右井手の調書が二通あつて、その間に矛盾がなく、それぞれ昭和五〇年一〇月一四日と同月一八日という本件犯行から間もなくの記憶の新しい時期に作成されたものであること、その内容が明確かつ具体的であり、右浦田の供述と大筋において一致しているうえ、証拠中の現場写真に照らしても自然かつ合理的であること、そして何よりも、前に述べたように、杉村の身を案じて懸命に杉村らの集団について回り、そのようにして認識した事情を供述したものであること等、反対尋問にかわるべき信用性の保障が十分に認められる。

(4)について。証人原田邦博が所論のような供述をしていることは認められるが、右原田は一介の私人であつて、杉村の身を案じて同人を注視するというような立場の者でなく、また同人と格別親しい間柄でもないのに対し、浦田、井手の両名は、前述したように、杉村の安否等については右原田などに比して遥かに強い関心と注意を払つていたと考えられることのほか、当時現に右両名が必死で杉村を見守る行動に出ていたことに徴するとき、右原田が杉村らの集団を「黒いかたまり」としてしか認識していないのに対して、浦田、井手の両名が杉村の動静、被告人らの暴行の状況等に

ついて十分に認識し、記憶しているのは当然であつて、何ら異とするに足りない。

(5)について。なるほど藤本が所論のような供述をしてはいるが、流動する一連の動きの中で、湯沸室付近において、藤本の供述するような状況と浦田の供述するような状況が相次いで繰り広げられたとしても何ら不自然ではないし、しかも、同所で杉村が前かがみに倒れかかつたことは、浦田も供述している(第一八回公判調書第二六九項参照。)ことにかんがみれば、浦田の供述と藤本の供述は何ら矛盾しない。また、谷本写真No.22は所論のとおりロビー入口付近の写真と考えられるが、浦田は、右写真が撮影場所としてはロビー入口付近のものと思う旨述べつつ、ただ撮影されている被告人森山、杉村等の状況から、湯沸室前の暴行の状況のようにも思う旨述べているのであつて、撮影場所について誤認したり、虚偽を述べたり、あるいはロビー入口の写真を湯沸室前の写真であると強弁したりしているわけではなく、そのような意味で不審な点はみられないし、しかも、右写真に撮影されている状況は、ロビー入口付近で被告人森山と杉村とが間に人をはさんで近距離で対面しているものであつて、必ずしも暴行の存在を直ちに示すものではないが、湯沸室前で浦田の述べる暴行があつたとして、その後、少ししか離れていない右ロビー入口付近へ集団が移動したとき、右写真のような状況になることは極めて自然であるし、さらにその後、浦田や井手が述べるところの、杉村が同所付近で倒れかかつたところを被告人森山が左脇からその左腕をとるという暴行へと移つてゆくと考えて少しも不自然ではない。従つて、浦田の右写真に関する供述、あるいは右写真に撮影されている状況をもつて、浦田の供述の信用性を否定する理由とすることはできない。

(6)について。井手が供述しているロビー入口付近での被告人緒方の体当りの事実につき、杉村が供述していないこと、

古家泰博作成の実況見分調書添付の写真において、杉村の右後方付近には「黄シヤツの男」がいたと想定されていること、右の実況見分のとき、井手が右体当りの事実の指示説明をした形跡がないことは所論のとおりであるが、杉村は、本件被害の当時もみくちやにされながら次々に暴行を受けていたのであるから、同人において受けた暴行のすべてを記憶していないとしても、必ずしも不自然ではなく、また、井手が右実況見分時には思い出していなかつたことを、その後に思い出すことも十分に考えられること、さらに、井手の右被告人緒方の体当りについての供述が明確で極めて具体性に富むことに徴すれば、弁護人らの指摘する右諸事情は何ら井手の右供述の信用性を左右するものではない。

(7)について。なるほど弁護人らの指摘する図面によれば、浦田と井手の間に被告人森山が杉村の左腕を取つた位置につき喰い違いがあるようにも見えるが、浦田が第一九回公判調書添付図面No.2では井手の前記図面とほぼ同じ位置を指摘していることに徴するとき、浦田が認識し、記憶し、法廷で表現しようとした位置は、井手のそれと大きな違いはないと考えるのが相当であり、また、浦田、井手の各供述と杉村の供述とは大要において一致しており、その間に浦田、井手の供述の信用性を左右するような喰い違いは認められない。

(8)について。杉村の頭髪を引つ張つた者の位置、引つ張つた方向につき、浦田、井手、杉村の間で所論のような喰い違いがあることは認められるが、右三名の供述は、何者かが杉村の頭髪を引つ張つたという点で一致しているし、さらに、浦田と井手とは、犯人が被告人中村であるとする点、及びそのときの同被告人の位置、引つ張つた方向についても一致するなど極めて良く符合しているのであるから、弁護人ら指摘の喰い違いは、浦田、井手両名の供述の信用性を左右するものではない。

(9)について。確かに水俣病によつて足の不自由な被告人坂本が飛び上つて杉村を殴打したということは考え難いことであるが、人物が流動し、杉村自身もかがみ込んだり伸び上つたりしている中で、被告人坂本の殴打の動作を、浦田が飛び上つて打ち下していたと認識することは何ら不自然ではないし、また浦田の供述を全体としてみるとき、右坂本の暴行についての供述は一貫して維持されているとみるべきであつて、所論のように曖昧な供述とはいえない。

(10)について。経済常任委員会室前廊下曲り角における被告人緒方の杉村に対する暴行につき、浦田が、その殴打の部位について供述を変遷させていることは指摘のとおりであるが、被告人緒方が殴打したこと自体については供述が一貫しているほか、その内容が「ピストン堀口のように」などと極めて具体性に富むことに徴すれば、浦田の供述は十分に信用することができる。この点につき、杉村は所論のような供述をしてはいるが、同人が、判示のように被告人らをはじめとする申請協参加者多数に取り囲まれながら、くり返し暴行を受け、必死の状態であつたことに徴するとき、その供述は、どの部位にどのような暴行を受けたかの点では信用できるとしても、その際の周囲の状況、暴行者が誰であるか等の点については、到底正確な認識は期待することができないところであつて、右杉村の供述は、浦田の供述の信用性を左右するに足るものではない。また、弁護人らの指摘する谷本写真No.23に撮影されている状況は所論のとおりであるが、同写真に撮影されている被告人緒方と、同写真よりも右方にいると思われる杉村とは、それ程離れているともみられないし、同被告人が、右廊下曲り角付近で杉村に追い付くことも十分考えられるところであつて、右写真をもつて浦田の供述の信用性を左右することはできない。

このように、所論指摘の点は、いずれも、いまだ浦田、井手の供述の信用性を覆すべき理由とは考えない。

(三) なお、弁護人が争う判示共謀の存在について付言するに、杉村に対する本件暴行の態様は、被告人らを含む多数の申請協参加者らが被告人緒方の「逃がすな。」の声に呼応して杉村を取り囲んだうえ、かわるがわるあるいは共同して判示のごとき一連の激しい暴行を加えたものであるところ、かかる暴行の態様自体に徴して、当時本件委員会室内外にいた被告人らを含む申請協参加者ら多数の間に、暗黙のうちに意思相通じて判示共謀が成立した事実を認定することができる。

(四) 被告人らの特定について

(1) 被告人中村について

弁護人らは、被告人中村が本件当日白色半袖ポロシヤツを着ていたことは明らかであるところ、浦田、井手の両名とも、被告人中村は「黄色地のストライプないし柄入りのシヤツ」を着ていた旨供述していること等を指摘して、浦田及び井手は、被告人中村を犯人と誤認している旨主張する。

なるほど、押収してある白色ポロシヤツ(昭和五一年押第一一号の七)、川崎写真No.4、吉永利夫作成の写真撮影報告書添付写真No.8、No.12等を総合すれば、本件当日、被告人中村が白色半袖ポロシヤツを着用していたことが認められるし、浦田及び井手は、同被告人の着衣について弁護人らが指摘するように供述している。

しかしながら、浦田供述及び井手調書によれば、浦田、井手の両名とも、被告人中村については、着衣のみから特定したものではなく、顔、頭髪、体つきなどをも総合して他と区別しており、ことに、事件後間もない時期に面通しによつて確認していること、浦田が犯行現場に被告人中村のほかに黄色いシヤツを着た者がいた旨述べるとともに、その者と同被告人とは顔などシヤツ以外の点で区別して特定しており、犯行直後には、被告人中村を捕まえようとまでして、その際、同被告人に対する明確な印象を得ていること、井手が、犯行直後、被告人中村を指差しながら「お前が蹴つたりしたことは確認しとるぞ。」などと言うとともに、これを聞いた同被告人がびつくりした顔をして逃げてゆくのをはつきり見ており、その際、明確な印象を得ているし、また、右調書において、黄色いシヤツを着ていた点から判つたわけではない旨明確に述べ、同被告人の顔の特徴などを適確に指摘して特定していることが認められる。さらに、弁護人らが、本件現場において、浦田及び井手の供述内容に副う着衣を着ていた者の例としてあげる高倉史郎については、谷本写真No.7、No.15によれば、同人が被告人中村と異り頭に鉢巻きをしていて、同被告人とは明確に異つた特徴を備えていることが認められるし、井手は、右写真を示されて、右高倉と被告人中村とを人相等によつて明確に区別している。そのうえ、押収にかかる白色ポロシヤツは、やや黄ばんでいて、黄色つぽくも見えるものであつて、場合によりあるいは人により黄色と映る可能性も十分にある。これらの事情を総合すれば、浦田及び井手は、被告人中村を犯人として明確に他と区別して認識していたことを認めることができる。

(2) 被告人森山について

弁護人らは、浦田が、その証言の際、現場写真中の別人を被告人森山と指摘していること、同被告人の着衣、履物についても誤つた供述をしていること等をあげて、浦田の被告人森山の識別に疑問がある旨主張する。

なるほど、浦田が、谷本写真No.7、No.11(いずれも現場写真)中の別人を被告人森山と指摘していること、同被告人が真実は白色格子縞シヤツ(昭和五一年押第一一号の五)を着用していたのに、それを白色無地のシヤツと述べていること、また履物についても、靴を履いていた旨推測事実を述べていることは所論のとおりである。

しかしながら、浦田の供述によれば、同人は、被告人森山の人相、体格、頭髪等により明確に同被告人を識別し、特定していることが認められ、この点に疑問の余地はない。弁護人ら指摘の右写真の点については、右写真は、いずれも当該人物の顔の一部が隠れているうえ、方向も斜め後ろから撮影されているものであつて、写真だけを見る限り、人物の判別を間違えやすいものであり、浦田が右写真の人物を被告人森山と指摘したとしても何ら異とするに足りず、この点を捉えて、浦田が本件現場においてなした同被告人の識別に誤りがあるとは認められないし、前記着衣の点は、押収してある白色格子縞シヤツ(昭和五一年押第一一号の五)が同被告人が当日着用していたシヤツであるところ、このシヤツは白地に黒色の細い線の格子模様が入つているものであつて、それを観察する距離等の関係によつては、一見白色無地に見える可能性も極めて高いものであることにかんがみると、この点についての浦田の誤認も何ら異とするに足りない。また、右履物の点についても、浦田の被告人森山に対する識別に疑問を生じさせるような事情とは認められない。

(3) 被告人坂本について

弁護人らは、浦田及び井手が、被告人坂本は休憩宣言後、委員会室外でもサングラスを着用していたと事実に反する供述をしていることをあげて、右両名の被告人坂本に対する識別等に疑問があると主張する。

なるほど、川崎写真No.4、No.6(いずれも現場写真)によれば、被告人がエ事実の際はサングラスを着用していなかつたことは明らかであり、浦田、井手がこの点については誤つた供述をしていることも認められる。

しかしながら、浦田、井手とも同被告人については、人相、頭髪、着衣等から他と区別して明確に識別しており、人物誤認の可能性は全くなく、所論サングラスの点も、同被告人が当日午前中、杉村らに執拗に抗議をした際サングラスを着用しており、浦田らにとつてその際の印象が強かつたであろうことを考えると何ら異とするに足りない。

(五) 検察官は、被告人緒方、同坂本、同中村が、湯沸室前付近で杉村に対し、足蹴り等の暴力を加えた旨主張する(論告の第二の五の3の(一)、(二)、(三)参照。)。

しかしながら、右暴行については、井手が、検察官に対する昭和五〇年一〇月一四日付供述調書において、「湯沸室前付近で杉村を取り囲む者らの中に被告人緒方、同坂本、同中村がいた。被告人緒方達は、杉村の身体と密着した格好で膝や足で杉村の下半身を蹴り付けていた」旨供述しており、右は一応検察官の主張に副う証拠とも解しうるが、井手が、同調書で、右供述に続いて「誰がどのように杉村の身体のどの部分を蹴り付けていたかまでは、はつきり憶えていない」旨述べていること、右供述中の「被告人緒方達」という言葉は、前後の文脈からみると、必ずしも被告人緒方、同坂本、同中村を指し示すものでなく、単に同所にいた申請協参加者らを総称するために用いられているにすぎないと考えられること等に徴するとき、右の井手の調書は、前記検察官主張事実を認定するに足る証拠とは認め難く、また、他に右事実を認めるに足る証拠もない。従つて、右事実については証明が十分でない。

(六) 杉村の傷害について

証人杉村、同井上龍生、同宮尾定信の各供述、井上龍生作成の診断書、宮尾定信作成の診断書ほか前掲証拠を総合すれば、被告人ら四名ほか多数による判示エ事実記載の暴行により、杉村が判示の傷害を負つた事実を認定することができるが、検察官は、判示認定にかかる傷害のほか、被告人らの暴行によつて、杉村は高血圧、心室性期外収縮の傷害をも負つた旨主張する(第二回公判調書参照。)。右宮尾の供述、同人作成の診断書によれば、杉村が本事件後間もなくのころ、右高血圧等の症状を呈していたことも認められるが、杉村の従前からの健康状態等にかんがみるとき、なお同人の右高血圧等が被告人らの暴行によつて生じたものとするには疑問が残り、結局、その間の因果関係の証明が十分でないので、判示の限度で傷害を認定した。

二  被害者らの職務の執行性等について

1  杉村の職務執行性について

弁護人らは、判示エ事実に関し、杉村の職務の執行は同人の休憩宣言によつて終了したものであるから、その後に加えられた本件暴行について公務執行妨害罪の成立する余地はなく、当時、杉村は、ただひたすら本件委員会室から退出しようとしていただけであるから、同人が職務の執行中でなかつたことも明らかであり、この点からも同罪は成立しない旨主張する。

よつて、検討するに、証人杉村の供述等前掲各証拠によれば、杉村に対する犯行の経緯、態様については次の事実が認められる。

(一) 本件当日午後一時ころ、判示の経緯で本件委員会の委員長杉村が、被告人緒方らの抗議に対する回答文を朗読したこと

(二) 回答文朗読開始後間もなく、申請協参加者らが「口頭で読み上げるつて失礼な。印刷せい。」などと騒ぎ出し、さらに「うそを言うな。」「はつきりしろ。」などと怒号して、杉村に激しくかつ執拗に抗議をしたため、本件委員会室内が喧噪にわたり混乱したこと

(三) 右喧噪のため審議の中断を余儀なくされた杉村は、折柄昼食の時間も来ていたことから、これに藉口して、回答文朗読後、休憩を宣言し、委員長席から立ち上つて西側出入口から退室しようとしたこと

(四) これに対し、被告人らほか多数の申請協参加者は、「逃がすな。」などと叫びながら杉村に駆け寄り、同人を取り囲んだうえ、その右腕を掴んで引つ張り、引き戻そうとし、右後脇腹を強く掴んで引つ張り、さらに、引き続いて本件委員会室西口扉から廊下に出た同人に対し、同所から、同室前廊下を経て、同じ階にある約三〇メートル程離れた経済常任委員会室前廊下曲り角付近に至るまでの間、殴る蹴るなど判示のとおりの一連の暴行を加えたこと

ところで、委員会の委員長は、委員会の議事を整理し、秩序を保持する権限を有する(熊本県議会委員会条例七条参照。)。右の秩序保持権は、委員会の秩序を保持することによつて委員会における円滑、適正な審議を確保する目的のために委員長に賦与される権限であるから、その性質上、審議中に限らず、委員その他委員会関係者の入場時、退場時等審議に接着した時間で、その間の議場(委員会室)の静ひつが円滑、適正な審議を確保するために必要であると認められる時間内は、これを行使することができると解すべきである。

そして、このような委員長の秩序保持権は、円滑、適正な審議が妨害される場合に、秩序回復のために、そのような事態の原因となる行為に対して制止、退去命令等具体的な措置を執るという形で顕在的に行使されることのあるのは、勿論である。

しかし、それは、その性質にかんがみ、右のような措置が執られなくても、委員長が議場にあつてそこで審議が行われている限り、議場の秩序を確保しこれを維持するために、委員長によつて時々刻々行使されている状態にあるとみるべきである。すなわち、委員長は、審議中(これには狭く審議の間だけではなく、それに接着する前後の時間帯も含まれることについては、前述した。)、時々刻々秩序保持権を行使しているのであり、委員長としての職務の執行中である。

さて、本件の場合、杉村委員長は、前認定の経過から、休憩を宣して後、退出のため委員長席から立ち上つて西側出入口へ向つて数歩行くか行かぬかのときに、すでに本件暴行を加えられているところ、杉村に対する右暴行が審議に接着した時間帯において、換言すれば、杉村が委員長としてその職務の執行中に加えられたものであることは、前述したところから、明らかである。

そうであるとすれば、被告人らの杉村に対する暴行は公務執行妨害罪を構成するというべきである。

なお、杉村に対する本件暴行は、委員会室内だけでなく、委員会室前廊下から三階ロビーを経て経済常任委員会室前廊下曲り角付近に至るまでの間(約三〇メートルの間)においても加えられているが、それは、杉村の移動に伴つて暴行の場所が移動したものであり、前後継続した一連の一個の暴行と評価すべきものであるところ、杉村に対する右暴行は、委員会室内議長席付近で、かつ審議に接着した時期に開始されているから、右暴行は全体として一個の公務執行妨害罪にいう暴行に該るというべきである。

2  植田及び藤本の職務の適法性について

弁護人らは、ア事実における植田、イ事実における藤本の各職務の適法性を争い、その理由として、大要、「植田、藤本の両名は、委員長杉村の命を受けて、同人が決定した申請協の入室陳情者を五名とする制限を強行するため、右制限を超えて入室しようとする陳情者の入室を制止する職務に従事中であつたものであるところ、申請協の陳情者は、これに先だつ杉村ら本件委員会委員による環境庁における水俣病患者の名誉を毀損する発言(いわゆるニセ患者発言)の被害者であり、本件陳情の趣旨は、右発言について責任の所在を明らかにし、謝罪することを求めるにあつたのであるから、本件委員会は、本件陳情に誠実に応じる義務があるのに、杉村らは、事ここに出でず、かえつて自分らの責任を隠蔽するために、本件陳情者を弾圧する目的で右入室者の制限を行つたものであつて、かかる目的でなされた右杉村の入室者制限は違法であり、従つて、その違法な入室者制限を強行しようとした右植田、藤本両名の職務執行行為もまた違法であつて、被告人坂本の植田に対する公務執行妨害(ア事実)、被告人森山の藤本に対する公務執行妨害(イ事実)はいずれも成立しない。」旨主張する。

そこで、先ず、杉村のした本件入室制限が適法相当の措置であつたかどうかについて検討するに、熊本県議会に対する請願、陳情は書面を以つてなすべきものとされている(熊本県議会会議規則七九条、八四条参照。)。ただ、従来から特別委員会に対する陳情については陳情者に口頭による補足説明をさせていた実情にあつたことが認められる。ところで、特別委員会に対する陳情につき、口頭による補足説明を許すか否か、これを許可する場合にその態様の詳細(何名の入室、陳述を許すか、陳述時間をどれほどにするか等)等は、すべて、委員会の議事を整理し、秩序を保持する権限を有する委員会委員長の決するところにより、委員長は、議場の広狭、審議事項、審議の段階、陳情の趣旨等諸般の事情を勘案したうえ、自由な裁量によつてこれを決定することができると解すべきである。

これを本件についてみると、本件委員会の収容能力、申請協が昭和五〇年三月に陳情に来た際、人数制限を無視して県議会側と混乱を生じたことがあるという過去の経験、本件当日は、判示熊本日日新聞の記事に絡んで、申請協の強い抗議やそれに伴う混乱も予想されていたことなど、本件当時の事情にかんがみると、杉村委員長において、申請協の陳情につき口頭で趣旨を補足説明すべき者の人数を代表者五名と決定指示したことは、まことに相当であつて、その間に何ら違法、不当の点は認められない。このことは、本件委員会の席上、杉村において、申請協の陳情につき、委員会の委員らに対し、代表五名によつて説明を受けることの適否につき諮つたとき、委員らの中にこれに異議をはさんだ者が皆無であつたことに徴しても、明らかである。

さて、証拠によれば、植田は、熊本県議会事務局議事課長の職にあり、上司の命を受け、本会議に関すること、特別委員会に関すること、議決報告並びに会議録に関すること等の課務を掌理する職務権限を有するものであるところ(熊本県議会事務局の組織等に関する規程((以下、事務局規程という。))六条一項、三条別表参照。)、本件当日も、朝から、県議会議事堂において、上司の命を受けて、本件特別委員会に関する陳情の受付、議場の整理等の職務に従事していたものであり、本件委員会が開催された後であるア事実の当時(午前一〇時五〇分ころ)には、杉村委員長の命を受けて、申請協の陳情について代表五名を入室させる措置をとつたところ、申請協参加者ら多数がこれに従わず、本件委員会室東側出入口の扉を押して室内になだれ込もうとしたため、これを阻止するために他の県議会職員らとともに同扉を内側から支えていたことが認められる。このような同人の行為が、その職責に基づく適法な職務行為であつたことは、多言を要しない。

また、証拠によれば、藤本は、熊本県議会事務局総務課所属守衛長の職にあり、上司の命を受け、議事堂の管理保全、警備、取締を行なう職務権限を有するが(事務局規程六条一項、二条、三条別表参照。)、本件当日も、朝から本件議事堂において平常どおり議事堂の警備、取締等の任務に従事していたものであり、イ事実の当時(午前一〇時五〇分ころ)には、本件委員会室東側出入口付近において陳情者の整理に当つていたところ、申請協参加者らが杉村委員長の指示を無視して五名の制限を超えて入室しようとしたため、本件委員会室東側出入口付近に立ち塞つてこれを阻止していたことが認められる。同人の右のような行為が、県議会守衛長としての適法な職務行為に該ることもまた明らかである。

そうすると、被告人坂本、同森山の本件行為は、いずれも、植田課長、藤本守衛長の職務行為の執行中になされたものであり、公務執行妨害罪を構成するものというべきである。所論は、理由がない。

三  可罰的違法性の存否等について

1  弁護人らは、判示各所為について、その可罰的違法性を争い、あるいは、その正当性を主張するが、当裁判所は、右主張をいずれも採用しない。以下にその理由について説示するが、本件各犯行に共通し、かつその行為の違法につき判断するに当つて看過することのできない事実は、それらが県議会議事堂内において行われた暴力事犯であるという事実をまず指摘しておきたい。

2  さて、弁護人らは、被告人ら四名ほか多数による杉村に対する公務執行妨害、傷害の事実(エ事実)につき、大要、「被告人緒方以外の被告人らは杉村に対し何らの暴行もなしておらず、被告人緒方は、本件委員会室内で杉村に若干接触しているものの、その態様は極めて軽微であるし、委員会室外では同被告人も何らの暴行も加えていない。従つて、公務執行妨害罪は成立せず、被告人緒方の委員会室内での行為も暴行罪としてさえ構成要件該当性を欠き、あるいは可罰的違法性ないし処罰に価する実質的違法性を欠く。」と主張して、可罰的違法性等を争う。

しかしながら、本件エ事実は、申請協参加者ら多数の者が、共謀のうえ、職務執行中の杉村に対し一連の暴行を加えて同人の公務の執行を妨害するとともに傷害を与えた事案であるが、被告人らは、これにつき共同正犯としての責任が問擬されているところ、杉村に対して加えられた暴行の態様、程度、それによつて生じた傷害の程度、被告人らがいずれも、実行行為の一部を分担した者であること、そして前に指摘したように本事件によつて議事堂内の平穏が著しく害されたこと等に徴すれば、被告人らの所為が、公務執行妨害罪、傷害罪の予定する可罰的違法性ないし実質的違法性を備えることは明らかである。

3  弁護人らは、被告人坂本の植田に対する公務執行妨害の事実(ア事実)、被告人森山の藤本に対する公務執行妨害罪の事実(イ事実)につき、「これらは、杉村らのいわゆるニセ患者発言に対して、患者らがその責任を追及し、謝罪を求めて本件委員会へ陳情に赴いた際、杉村らが、これに対して誠実な応対をせず、かえつて不当にも入室者制限を強行しようとしたために発生した事件であり、かかる杉村ら県議会側の不当な態度に対してとられた被告人ら申請協側の行動の目的の正当性、態様、軽微性などに照らせば、右両事件はいずれも可罰的違法性ないし処罰に価する実質的違法性が認められない」旨主張する。

しかしながら、前述のように、本件入室者の制限は何ら違法でも不当でもなかつたこと、植田及び藤本が、弁護人ら指摘のニセ患者発言には何ら関与せず、右両名は、ただ県議会の職員として忠実に職務を遂行していた者であつて、同人らには何らの落度がないこと、にもかかわらず、植田に対しては、手拳でその顔面を殴打し、藤本に対しては、同人が必死で振りほどこうとしてもかなわぬ程に強く抱きかかえて移動させるという、それぞれ相当に強い暴行を加えていること等の事情に照らすと、被告人坂本(ア事実)、同森山(イ事実)の右各犯行は、いずれも実質的違法性を有するものというべきであり、いわゆる可罰的違法性なしとして犯罪の成立を否定することはできない。

4  また、被告人坂本の藤本に対する公務執行妨害の事実(ウ事実)についても、同人を怒鳴りつけたうえ、膝蹴りするという犯行の態様、その結果同人がずきんとする痛みまで感じていること、同人が前記のように県議会の職員として忠実にその職務を遂行していた者であつて何らの落度がないこと等の事情に照らすと、右被告人坂本の犯行もまた可罰的違法性ないし実質的違法性がないとはいえない。

5  なお、弁護人らは、弁論において、水俣病患者らの被害の歴史と実態、杉村らのニセ患者発言の犯罪性等に照らして、申請協参加者らが本件委員会へ陳情に赴き、杉村らの右発言に対する弁明及び陳謝を要求する行動をとつたことは正当である旨強く主張しており、かかる抗議行動の正当性から、ひいて、右抗議に伴う若干の暴行等も正当行為として犯罪の成立が否定される旨主張するように解される部分もある。しかしながら、被告人らの本件抗議の意図、目的がどうであれ、自らの目的を達するために、あるいはその憤懣を表すために、暴力に訴えるということは、到底我が国法秩序の許さざるところであり、所論は、到底採用できない。

四  公訴棄却の主張について

弁護人らは、本件各公訴については公訴権の濫用があるから公訴棄却さるべきであると主張し、その理由として、大要以下の四点を指摘する。

(一)  本件公訴事実のいずれもが、嫌疑がないか、あるいは嫌疑が不十分であることが明白であるのに、敢えてなした起訴である。

(二)  本件は、現行犯逮捕がなされた事案ではなく、いわゆる事後捜査によつて立件された事案であるのに、事件後わずか一箇月足らずという異常に短い期間内に起訴がなされている。これは、検察官が、本件において当然顧慮すべき事情、即ち杉村らの名誉毀損事件、水俣病認定業務についての不作為違法確認訴訟の帰すう等、本事件の処分にとつて極めて重要な事情を見極めもせず、安易に事件直後に起訴したものであり、その結果、本件起訴は水俣病におけるチツソ株式会社、熊本県当局、杉村ら加害者側に一方的に加担するに至つたものであるから、不適切な時期になされた起訴である。

(三)  申請協が告訴した杉村らの名誉毀損事件を不起訴にしたのをはじめ、水俣病における加害者であるチツソ株式会社、熊本県、国等の刑事責任については、わずかにチツソの幹部が業務上過失致死傷罪という軽い犯罪に問われたほか、何らその責任が問われていないのに対して、本件は、水俣病における被害者であり、杉村らの名誉毀損発言の被害者である水俣病患者らを一方的に起訴したものであり、偏頗な不平等起訴である。

(四)  本件は、本件委員会に警察官多数を配備して待ち構えるなど、杉村と警察当局とによつて当初から仕組まれた事件であり、患者らの運動を弾圧する目的でなされた違法な逮捕、勾留、特に被告人坂本については、同被告人が水俣病のため取調に応じられる状態でなく、また同被告人が取調の中止を再三にわたり求めているにもかかわらず、苛酷な取調を継続するという著しく違法な取調を経てなされた違法捜査に基づく起訴である。

しかしながら、既に説示したところから明らかなように、取調べた証拠に基づいて有罪の事実を認定することができるのであるから、本件が嫌疑のない、もしくは嫌疑の不十分な事件の起訴であつたとはいえない。

本件起訴時期の不適切をいう所論の趣旨は、要するに、本件公訴の提起に当つて当然顧慮すべき事情があつたにもかかわらず、検察官は、これらの事情に考慮を払うことなく、性急に本件起訴に及んだというにあると解されるが、そもそも、証拠の散逸を防いで事案の真相を明らかにし、ひいて適正妥当にして迅速な裁判を実現するためには、検察官において事件の捜査を遂げ公判維持に足る証拠が収集できたと思料するときには、できるだけ早期に公訴提起をなすことこそがその職責にかんがみ必要妥当な措置であると考えられるところ、本件にあつては、前認定のとおり、検察官の立証によつて有罪の事実を認定することができるし、かつ、所論指摘の事情は、いずれも本件犯罪の成否には直接関係のない事情であること等にかんがみれば、本件公訴提起の時点において、所論のような事情や状況があつたとしても、本件

各公訴の提起が性急にすぎたとか、不適切に早い時期になされたとかいう非難は当たらない。

次に本件各犯行の態様、暴行の程度及びその結果等に徴すると、前述したように、本件各事実には、それぞれ独自のそ

れ相当の実質的違法性ないし可罰性を肯認しうるところであるから、仮に、杉村や、チツソ株式会社、熊本県、国等に

対する刑事責任の追及が不十分であるまま本件公訴提起がなされているとしても、その措置を目して、直ちに被告人らを不利益に扱つた偏頗な不平等起訴であるということはできない。

本件起訴が違法捜査に基づくとの点については、なるほど、本件当日多数の警察官が本件委員会室内外において採証活動に従事し、本件証拠中には、これら警察官によつて収集されたものがある。しかし、判示熊本日日新聞の記事に対し強く反発した申請協参加者多数が県議会公害対策特別委員会に対し抗議陳情にやつて来るという当時の客観的情勢下において、警察当局が本件委員会が紛糾して違法事犯の発生することのあるのを予測し、その場合には採証に当たらせるために警察官を配備した措置は、警察法二条、刑事訴訟法一八九条等に定められたその責務に照らして適法相当の措置であつたというべきである。たとえ、杉村が公害対策特別委員会委員長ないしは個人の資格で、警察に何らかの要請をした事実があるとしても、最終的には、警察当局がその責任において独自に判断すべき事柄であることにかんがみれば、杉村と警察当局とが「仕組んだ」措置であるとの非難は当たらない。被告人らの逮捕、勾留が水俣病患者らの運動を弾圧する目的でなされたことを認めうる証拠はないし、所論の被告人坂本についての取調状況も、証人三宅良三、同北川尚弘の各供述によれば、医師の診察を受けさせているし、勾留の途中から医療設備の整つている拘置支所に移監し、絶えず担当医師と連絡をとり、適確に病状を把握しながら、同被告人の承諾のうえ取調をしたことが認められ、その間に毫も違法な点はない。このようなわけで、違法捜査を根拠とする所論に、その前提を欠いているといわねばならない。

その他、所論にかんがみ記録を検討しても、検察官のした本件各公訴の提起が、その権限の濫用にわたるものであつたことを肯認するに足る証跡はないから、所論は理由がない。

よつて、主文のとおり判決する。

別紙

負担させる費用 負担させる被告人 負担割合

証人東田康秀、同北川尚弘、同坂本ハツ子、同三宅良三に支給した分 被告人坂本登 全部

証人末松勝喜に支給した分 被告人森山博 全部

その余の証人に支給した分 被告人全員 各四分の一

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